2013年7月22日月曜日

病院で友達を作らない主義で

自分の心を守る鉄則として守ってきて、実際効果あったが
その鉄則を作ることにした時の、鉄則を作る前に仲良しになった人が
亡くなったと知って
ものすごく、なんという言葉で言えばいいのかわからない。適切な言葉が見つからないがとりあえず“ショックで”と言っておくが
打ちのめされている。
入院して、知り合いになって、何人も死なれて、そういう経験をしないと「病院で親しくなったり友達になったりしない」というルールを作らない。そうなる前に作った仲良しだった。
でも何十年も、死んだわけじゃなかったので仲良くなったのは失敗じゃないと思ってた。
冷静に考えれば年齢的には寿命がきてもそれほどおかしくないと頭では考えるけれど、自分の心が打ちのめされているのは事実だ。
別の病院に転院してお見舞いに行ったのが最後に会った機会で、その後は電話でしゃべったのだけ。

向こうはどう思っていたかわからないが、自分は会ったり連絡したりしないけれど友達、でも向こうはどうかわからないから自信過剰にならず、このままでと現状維持だった。
自分の連絡先だけ特別に大切に取ってあったので特別に親しいのかと思ってと電話がくると、
なんで連絡くれなかったの、と。
便りがないのは良い知らせ、という考えが大きすぎた。
時間が経つと、引っ越してるかもしれないしとか、急に連絡したら借金の申し込みとか宗教の勧誘とかだと思われるだろうしとか思ってた。誰でも考えるあたりまえの考えだと思う。

ある程度の期間入院すると病室の人と連絡先交換するような仲になるのはそれほどめずらしくない。自分だけではないようだ。
入院中は仲良くなるし結構話が盛り上がる。
でも退院すると一気に変わる。
なんでかというと、年齢も、学校も、就職先も、友達など交友関係も、何もかも全部無関係だからだ。共通点は同じ病室に入院していることだけ。
入院中は特に医師や看護師で態度や性格が悪い人のことや、病気のことや、食い意地が張ってない人でもやることがないので食事が共通の話題になる。普段のように好き勝手に出来ないので話題が圧倒的に少なく、普通なら話題にしない、退院したら全然話す気になれない食事のメニューとかがものすごい大ニュースのように盛り上がる。
こんなに話が合う人がいるのかな、とお互い思う。

ところが退院すると2週間もすると話がもたなくなる。どんなにもったとしても1ヶ月か、ものすごい場合で2ヵ月もすると話題がなくなる。
共通点は入院した病室くらいで、趣味のつながりも学生の時のクラブ活動も、学校や職場の先輩も後輩も、上司も部下も、会社そのものにも、配偶者も何一つ共通点がない。そもそも共通の知り合いさえ一人もいない。
人と話をするのはどうということもなくあたりまえのことと思っているが、意外と違う。
知り合いや友達と話題が盛り上がり、話が尽きないのは、
全然仕事しなくて人の悪口ばかり言ってるあれが~とか、あのドラマ/映画~とか子供時代・思春期に見ていた共通の話題とか、お互いわかる共通点があるから。わかるところから話が広がっていく。
でも全部違うと話題がない。アイドルや俳優・女優の話題をしようと思っても世代が違うのでわからない。今のアイドル・有名人の話をしようと思ってもお互いアイドルに興味がない年齢だし、仕事しているとテレビ見ている時間がないのでさっぱりわからない。お互いが知らない人・物・事の話題で盛り上がるということは絶対ない。
そうなるとお互いの共通点・話題が何一つない。
全部を説明して、それから話すのは仕事みたいだし、盛り上がらない。
病院のことむし返すといっても数回ももたないし、散々盛り上がって、もう時期が過ぎた話題は盛り上がらない。むしろ微妙な空気で他の話題のほうが良かったくらいになる。
嫌ったり、ムッとしているわけではなくても沈黙や気まずい雰囲気が何度も続くと仲悪い・嫌い合っているような感じになってしまうので、そうならないように連絡とらないようにしたり会わないようにする。他の人もそうじゃないかと思う。

共通点が一つもない人(入院とか事件事故で共通点がその一つだけとか)とは相性が良くても継続的に付き合うのが難しいと入院して友達作るまでは自分もわからなかった。

私はもともとはオーディオマニアでハッキリと好きな趣味といったらオーディオだった。その後、世の中が変わっていって、パソコンはノイズの源と他のオーディオマニアと同じく嫌っていたが自分用にパソコンを入手、その後は趣味というより実用的にパソコンに時間をかけるようになった。今もパソコンが趣味の領域というより買い物とか調べ物とか記録とかをつけるための実用品の領域に自分の中では分類している。ただ、今よりPCはちゃんと動かなかったら相当調べ、そのためかける時間が長くなるので人から見ればパソコンが趣味・好きと思われたかもしれない。
アニメも趣味じゃないかと思われているだろうが、それはオーディオもパソコンも“機械”。
物にしか興味がない・趣味がないのは困るだろうと思い、何か別の趣味をということで意図的に浮上させたのがアニメだ。最初から最後までアニメとしたわけではなくて、物体ではないものでも趣味とすると“物”が増えてくるのでやめた。思想でも、ファッションでも、文学でもテレパシーで脳に直接内容が届くわけではないので本という物体だったり、服という物体を集めることになる。ラジオ番組でも本格的に凝ると録音して残しておきたくなるし、物が増える。部屋をそんなに用意できないので見たら消すことができる“アニメ”が最終的に残った。だからコレクター的なアニメファンとは全く行い(おこない)・思考が違う。DVDやBDなど円盤、グッズが山ほどというのはない。見たら消すだけ。アニメ以外も番組あると言うだろうが、ドラマは役柄に合わないその時の人気タレントが出ていて、かつヘタクソ、さらにブサイクブスで見ていると不快になる。なんで売れているのさっぱりわからない、と腹立ってくる。お笑いは好きだったがあまりにも吉本だらけになりすぎた。違う人なのに笑わせ方、もっていき方が同じで飽きてしまった。おもしろいところで自然と大声になるのはいいが、おもしろくもなんともないところで極端な大声出されてもつまらないものはつまらない。おもしろくなったりしない。うるさい。やかましい。耳触り。モデルと違ってお笑いにルックスは求めないが、あまりにも吉本タレントがどの番組にも出すぎて顔が汚く嫌になった。顔が汚すぎる。ブラウン管時代と違ってワイドで画面が大型化した薄型テレビに不細工なのが大写しでどの番組にも出ていると、見るのが嫌いになった。顔のきれいさをお笑いに求めていないといっても、わざわざブサイク・ブスを見たい、好きというわけじゃない。いいかげんしつこすぎて嫌いになった。ニュースは偏向報道が酷い。日本人なら好きになれるわけがない。

こんな感じで趣味が変遷していったが、興味がない人にオーディオの話をしてもしょうがない。アバロンやゴールドムンドといっても何だかわからない。話しても興味が出るわけがない。クラシックや音楽はさらに一人一人に直結する嗜好なので興味がない人に話してもしょうがない。私も話されても困るし。ピアニストやオペラの話をしてもつまらないだけだ。パソコンはねえ、あれは機械だ。インテル・マイクロソフトが絶対的優位になっていない頃、IBMやMIPSだったか、Alphaとかもあったか、CPUが百花繚乱の時代はCPUそのもののファン・マニアもいたが、とっくにそんな時代は過ぎてやっぱり道具だ。PCやPCパーツそのもので人と話す話題ってない。不具合とかアップデート情報は情報であって“趣味の話題”じゃない。アニメはアニメファンが集う掲示板や、同じアニメが好きな人とはどこまでも話が続いて盛り上がるが、趣味じゃない・見てない人には暗号を喋っているようなものだ。全くわからないしおもしろくない。

こういったことから、入院で友達になった、強盗とかの人質になって親密になった、なんという名前の現象か忘れたが、そういう共通点が一つある以外、全部の人生が違っている場合、普通の友達のような関係を継続的に築くのは相当難しい。


しかし、
会おうと思えば会える、
そう思っていたのに会えなくなるとがっくり。
私も向こうも、
引っ越してるかもしれない、急に連絡とると訝しい(いぶかしい:物事が不明であり怪しく思うこと。疑わしい。怪しい。)と思われると思っていただろう。

後悔がどんどん大きくなり、重くのしかかってくる。
なんで連絡くれなかったのか。
自分も連絡してないのだから、
その思いが自分を責めたてる。