2011年1月20日木曜日

オーディオ評論家の斎藤 宏嗣 逝去

オーディオ評論家の斎藤 宏嗣(さいとう ひろつぐ)さんが亡くなったそうだ。
2010年12月31日金曜日、心不全だったとのこと。

最近は会うことがなかった。
発売されなかった、というか発売するための製品ではないラックスマン社やブリッジ・オーディオ・ラボラトリーBA labo社の社内用のリファレンス用D/Aコンバーターで視聴したり、トランスメーカーの人でないと知らない公表しない話などをしたり思い出があった。

レコード会社のマザーテープや、レコードをこれでプレスしてもいいか極めて限られた役員に提出して許可をもらう一番大本の原盤(名称聞いたが忘れた)で、針を通しても(再生回数)せいぜい2~3回くらいしかかけることがない特殊な製造のレコードや、レコーディングしたそのもののSACDや工場に持っていってプレスさせる重要なディスクなど聴く機会がいくつかあったが、斎藤先生のおかげで聴けたのもいくつかあった。近年だとレコードレーベルのエクストンとかがマスターディスク(?。とかなんとかいうの)を出してオーディオ愛好家に有名になったりしたものと同様のものだと思う。

オーディオマニアだと、レコード会社やメーカー、オーディオ評論家やAV評論家と何度も顔を合わせる機会が増えてくるので話したことがなくても顔見知りっぽくなってくるので、『新製品』の計画さえ公表してない試作機や新アルバムの告知もまったくない状態でのニューアルバムとか聴く機会が出てくる。発表してないのに「あれ?このアーティスト、移籍するんだ」とか「ニューアルバムでるんだ」とかわかったことも何度かあった。守秘義務の契約とか交わしたわけではないので過去のことでもあるし書いてもいいのだろうが一応名前や製品名は控えておくが、クラシック音楽ではない人で自分が知っているくらいなので誰でも知っている有名なアーティストだ。その中にはほぼ見た目がそのまま発売されたものもあれば発売されなかったものもあり、よく考えないと無関係に見えるほど違って発売されたものなどは少なかったがあった。メーカーやレコード会社は一般人・消費者の意見を聞きたいものなのだろう。人間育成がどうたらこうたらで引退するとか何とか言ってる人のとか聴く機会があった。
今は私の体力が落ちすぎてオーディオ試聴をすることがほとんどなくなってしまったので、新製品があるというアナウンスは影も形もない時期の試作機というかコンセプト機や、新曲を聴くことはなくなってしばらく経つ。
斎藤さんが毎日、20キロマラソンして体力をつけていると言ったのでほんとに驚いた記憶がある。たまたま松任谷 由美と同じ毎日20キロのマラソンと言っていたので「二人とも同じ距離走ってるんだ」と強く印象に残った記憶がある。本当に宇宙人かと思うくらい自分と体力に差があることになるので斎藤さんとユーミンは自分とは違う生物に感じた。年齢を考えればねえ、信じられない。
その時「私、もうちょっと頑張らないと」とものすごく反省していまだにその思いは抱いている。思ってる割に全然何もしてないが。それが心のわだかまりになっている。もともとオーディオの感想は北海道とか沖縄とかのオーディオファンは各社のフラッグシップを聴く機会さえない、近県にも置いてないということを聞いて、あまりに気の毒でネット上に書いとこうと思ったのがきっかけで、それを実現するには体力と気力が結構必要になる。だから体力つけようと思ったんだが調子がかなり悪い。さすがに1000万超える超弩級フラッグシップはどこの県にも置いてあるとは思ってなかったが、ヨドバシカメラにも置いてあるような超有名メーカーのフラッグシップも見たことすらねえよ、と聞かされて気の毒に思った。

SACDの内情の暴露話とかここに書けない話も会った時に聞かせてくれた。
もうガッカリ。気落ちする。
最近、写真やオーディオショウで見ると一気に歳をとったように感じていた。
自分が会話したりしていたのは一気に老けたように見える以前までで、結構時間がたっている。ただマラソンの話やスキーやテニスが好きで活発にやっているという話を聞いていたので、見た目の問題だけで2,30年は大丈夫だろうと思っていたら……驚いた。会話をしていたのは髪も黒々としていて声も若々しいというか普通の時の記憶しかない。晩年はどうだったか、声とかもおそらく変わっていたと思うが会話していないので以前の元気なままの記憶しかない。
もう自分も試聴は全然してないし、過去はオーディオマニアだったが今はオーディオ好きとさえいえない状態でもうオーディオマニアではないので、これで聞く機会が持てる評論家がだいぶいなくなった。新しいオーディオ評論家との出会いはもうないので自分のオーディオ関係は終わりなのかなと思う。
次々の訃報で、何を言っているのかわからないまとまりのない文章になっていることは分かっているが、整理して直す気力がない