【第11回】 2010年4月2日 原英次郎
日本製品の品質低下をもたらした
現場の軽視と行き過ぎたコスト削減
http://diamond.jp/articles/-/7772慶應義塾大学大学院学経営管理研究科委員長
慶応義塾大学ビジネス・スクール校長
河野宏和
トヨタ自動車のリコール問題は、日本製品=高品質という神話に大きなダメージを与えた。振り返ってみれば、古くは雪印の集団食中毒問題をはじめ、この10年の間で、日本製品の品質の低下をうかがわせる不祥事が、毎年起こっている。その背後では何が起こっているのか。原因はどこにあり、企業はどのような問題意識を持つべきなのか。生産管理の専門家である慶應義塾大学ビジネス・スクール校長の河野宏和教授に「日本企業の製造現場を元気にするために、いま求められているものは何か」について聞いた。河野氏が提示するのは、「現場の力」、「経営者、管理者の力」、「現場リーダーの力」そして「ひねくれ者の力」という4つの視点である。
日本製品の品質が揺らいでいるかどうかということについては、古くは雪印、食品偽装問題、最近のトヨタのリコール問題などがあり、その指摘は間違ってはいないと思う。ただ、全ての企業がそうかというと、問題を起こす企業もあれば、そうでない企業もあり、その格差が広がっている。
工程ごとに委託会社を変え
全体最適を達成できない工場も
こうの ひろかず 1980年慶應義塾大学工学部卒業、1982年同大学院工学研究科修士課程、87年博士課程修了、同年慶應義塾大学大学院経営管理研究科助手、91年工学博士、1991年助教授、1998年教授となる。2009年10月より現職。1991年7月より1年間、ハーバード大学ビジネス・スクールヘ留学。IEレビュー誌編集委員長、TPM優秀賞審査委員、日本経営工学会理事。
大事なのは、その背景に何があるかということだ。一つには「現場」の弱さ、特に現場で働いている人の問題があると思う。人件費を下げるために、非正規社員、パート、業務委託、外国人といった人たちの比率が上がり、作業者の環境が変わってきている。
安全性という面においても、品質に関しても、認識や知識を十分に持っていない人たちが、現場を構成するようになってきている。あるいは、委託社員同士では、相互に改善提案を直接やりとりすることは原則として禁じられているので、コミュニケーション不足という問題が起こる。
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私は生産ラインの工程ごとに、委託会社を変えている企業の工場を訪問したことがあるが、すごい違和感を覚えた。委託会社同士では改善提案を伝えあってはいけないので、ある会社が改善を行ってリードタイムを短縮しても、本体の会社に連絡して、そこが物流のタイミングを変えないと、全体の流れが変わらない。各工程があたかも別会社のように、一つの工場の中にあるわけで、自分の工程だけ改善しても、他の工程との同期がとれないために、工場全体の生産性の向上に結び付かない。
なぜこういう状況になったかを突き詰めていくと、結局は、経済状況が厳しい中で、コスト削減に舵を切りすぎた結果だと言える。
それと関連するが、現場の技能を持った高齢者――目で見て異常が分かる、音を聞いて異常が分かる人たちが、重視されなくなってきている。2007年以降に団塊の世代が定年を迎え始めたこともあって、技能が伝承されていないという問題も大きい。
製造現場には、経験、ノウハウが必要で、ある程度そこにコストが発生するのは、やむを得ないということを、製造業のトップの人たちは認識すべきだし、そのことについてもっと情報を発信すべきだろう。
製造現場を重視しない経営者が余りに増えてしまったことと、ビジネススクール的なものが世の中に広まってくると、現場軽視になるという批判とは、同じ線上にあると認識している。グローバルスタンダードを言いだすと、「アメリカ的な効率経営を」となり、現場に人件費の高い人がいるのはおかしいと考えてしまう。残念ながら、日本のメーカーの経営者の中にも、そういう考え方の人が増えている。
以上が、「現場」という視点から見たときの問題点である。
次に、もう少し広い視点で見たときの問題点を考えてみよう。サプライチェーンが重要なのは、製品が生み出された後に、どのような場面で使われているのかを、メーカーの工場の中で想像しながら、責任を負って製品を作るということにある。分業が行き過ぎると、販売は販売、工場は工場、購買は購買ということで、それぞれが独立して効率を追求するという意識になってしまう。
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例えば、材料であれば材料メーカーにまで踏み込んで、より良い品質のものを安定して供給してもらうことは、昔から購買管理や外注管理として行われていたことだ。今はそれを「サプライチェーンマネジメント(SCM)」と、敢えて言わざるをえないほど、それぞれの活動が縦割りになって、壁ができているのではないだろうか。
昔からSCMのような活動――顧客のところに行って要望を聞く、材料メーカーに行って相談をするというようなことは、当然のように行われていた。それをいま、「サプライチェーンマネジメント」といわざるを得なくなってしまっていることの方が、問題なのだ。SCMなどと呼ばなくても、全体を見渡せる幅広い視点を持った人材が、企業の中にいるのが当然で、企業には不断にそういう活動を行うことが求められている。
コンピュータの進歩が「悪さ」をして
人間の判断能力が低下している
もう1点――こう言う人はあまり多くないが――背景には、コンピュータの進歩が「悪さ」をしている、ということがあると思っている。人間の情報処理能力は、働く時間の関数で上限がある。一方、コンピュータとそれが結ばれたネットワークで情報を集めれば、いくらでも情報は集まる。しかし、意思決定に関わる人間は、それを全部は見ていない、あるいはじっくり見ている余裕がない。情報を見ていなければ、それは何の役にも立たない。
例えば、販売会議であれば、「お客さんのところで、こんな条件で使っていたら、こういう不具合が出たと言われました」と報告すれば、少なくとも情報が共有されるし、重要だと思えばそこで精査しようということになる。それがコンピュータ上で「こんなクレームが出ています」とファイルだけが飛んできても、それを見逃せば、その情報は死んでしまう。
どの情報が重要なのか、あるいは誰が重要だと判断したのかさえ、コンピュータは記録してくれない。情報だけが洪水のように押し寄せてきて、重要な情報もそうでない情報も、たくさん処理しなければならない。このマイナス面はすごく大きいと思う。
次のページ>> 経営者は「安く」を求め過ぎた
確かに、コンピュータの進歩で、いままで見えなかったことが見えるようになったり、分からなかったことが分かるようになったという側面はある。しかし、人間の情報処理能力に上限があるのだから、余分な情報はいらないと考えるべきなのではないだろうか。余りにコンピュータに依存し、信頼してしまうと、人間の判断能力が研ぎ澄まされないし、企業で言えば、部門間、個人間のコミュニケーションをすり減らしてしまう。
こういうことが、品質管理のような全社的な活動に、マイナスの影響を及ぼしていると思う。
人材育成や技術の伝承に
コストをかけても必ずペイする
経営者は「安く」を求め過ぎた。現場というものがどういうものかに思いを馳せ、コストがかかっても人を育てる経営者がいれば、一連の品質問題はこれほどまでは起きなかっただろう。
品質のしっかりしている企業は、やはり現場を重視している。人件費を削るということ以上に、このような厳しい時代でも、人材育成や技能の伝承に、時間とお金をかけている。時間とお金をかけても、実はそんなに長期を展望しなくても、十分にペイする。
彼、彼女たちから、いろいろな提案が出てきたり、仕事が楽になるように道具の改善が行われたり、生産ラインのレイアウトの改善が実施されて、コストが下がるとか、生産量が増える結果、生産性が上がるからだ。だから、こういう企業にとっては、人材育成はコストがかかるからといって、それをやめてしまおうとか、外部化しようということにはならない。
それから、こういう企業は、マネジャー層がいろいろな部門を回って、お互いの連携がとれるような仕組みを整えている。連携をとると言っても、単に営業部門と製造部門の会議をやるというだけではダメで、部門の長たる人が営業と製造のコミュニケーションを図る「場」を、自分で設定している。そういうリーダーシップのある人が上にいる企業は、しっかりした仕事をしている。
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まだまだムダの多い企業活動
コスト削減の余地は大きい
人材育成や技能の伝承にお金をかけると、海外とのコスト競争に負けてしまうというのが、今の一般的な考え方だろう。
ケースメソッドという討論形式の授業が慶応義塾大学ビジネス・スクールの特徴
では、企業が生み出す価値とは何だろうか。単に安いものを供給することだけが価値ではない。安心感、アフターサービスも含めた商品の供給、顧客の声を取り入れた製品開発などを、「日本のメーカーとして、日本に立地する工場で対応します」というところに、価値を見出していくべきだ。
ユニクロ(ファーストリテイリング)が、マスコミでもてはやされているからといって、それが全ての日本企業が進むべき指標であるとは限らない。高級品志向があってもいいし、それぞれのニーズに対応した個別化があってもいい。ある程度コストもかかるし、商品価格も高くなるだろうが、そういう分野で勝負をかけて行くのが、日本企業の一つの生き様だろう。
その一方で、高価格・高付加価値を狙うばかりではなく、現在の企業活動の中にも、まだまだムダがあることを理解すべきである。確かに、新興国と比べて人件費単価は高いけれども、その人間が使う設備は設備メーカーの言いなりで高いし、しばしば故障もする。自分たちの必要な機能に絞って、自分たちで設備を開発すれば、市場価格の5分の1~10分の1で開発することができる。
同じことは情報システムについても言える。市販のシステムを購入し、何億円もかけて情報システムを構築しているが、自社で必要なものに絞り込んで開発をすれば、もっと安くできるし、システムの改廃もずっと容易になる。設備やシステムの償却費が高くて困ると嘆いている経営者がいるが、そう考えると、愚かなことである。
加えて、本社サイドではムダな会議を延々とやっている。これを減らせば、間接費を削ることができる。このように、日本企業の中にはまだまだコストを削る余地はたくさんある。そうすれば、空いた時間を人材育成や海外工場のケアに振り向けることができるようになる。
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品質を維持・向上させるための
4つのチェックポイント
最後に、品質を維持・向上させるうえでチェックすべきポイントをまとめておこう。
第1が現場の力。現場にどれくらいムダがあり、ムダを省く力がどれくらいあるか。
第2に経営者の力、管理者の力。現場の問題を見抜く力、見抜こうとする意欲のある経営者、管理者がどれくらいいるか。
第3に現場のリーダーの力。現場における改革を、率先して引っ張っていける人、部門横断的に仕事のできる人がどれくらい育っているか。
第4にひねくれた意思決定のできる人が、社内にどれくらいいるか。例えば、経営陣が市販のソフトで情報システムの構築を決めても、それに異を唱えて、「私がやる」と言い出すような人が、どれだけいるかだ。
特に、最近の大企業は、世の中の傾向や流行を追いかけがちで、そのことが「悪さ」をしている。従業員何千人という規模になると、自部門の目先の効率性を追求するあまり、縦割り主義に陥り、同じ会社でありながら、他人行儀になってしまう。
私は日本のメーカーの人たちと、「技能者」をどう処遇すべきかについて議論したことがある。自分たちで技能者を育成し、抱えておくべきだと言う企業もある一方で、「環境が厳しくて抱えている余裕がないので、技能者を抱えることをやめて、必要になれば、お金を払って雇い直せばいい」という企業もあった。私はこの後者の考えに、強い違和感を覚えた。実際、景気が回復した時に、技能のある人を雇おうとしたが、たいへん高いコストを支払わなくてはならなかったという。
お金で技能の問題が解決できるというのは、近視眼的な考え方で、1度失われた技能は2度と取り戻せないということに、日本の経営者は気付くべきである(談)。