2014年4月11日金曜日

まだ治らない

おかしい。まずいんじゃないか。
日付が変わったのでもう一昨日になるがやっと買い物に行けた。2、3日前からほんの少し楽になったようでこの風邪(?)を引いてから初めて買い物に行けた。
しかし、昨日は朝ちょっと調子がよくて家事をやったがその後立っているだけでゼーゼーしてきて足が震えて、これは立っているとバタッと倒れる可能性があると判断、横になった。夜少し回復したのでまた家事をした。
洗濯や布団を干すのもきつくて1度くらいしかできていない。体調が悪くどうしても絶対にやらねば暮らしていけないことだけを何とかやっていた。
あまりにカゼが全然よくならなくて、それはウイルスの再感染によるものかと思いまな板、包丁、流しやフロなどの蛇口や、フロ・トイレなどの取っ手やレバーなど、人が触るものだけでも殺菌作用のある洗剤で清掃するようにした。換気扇も起きている間中まわしっぱなし。しかしよくならない。

アレルギーだと、人間の本能で間違いなく死ぬ、救急車を呼ぶのをちゅうちょしていたら死ぬ、と本能というか、脳に備わった機能というか、勝手に、生きている限り逆らえないなにかに突き動かされる。アレルギーだと実際死ぬ。チーズ入りのちぢみを食べた女の子も15分後には死亡していた。それよりだいぶ前にも、小学生の男子だったかそばを食べて死亡している。アレルギーが出たら身体が動く間に電話機を握って119番出来る準備をする。この時は電話機をとるのに本気で走る。意識を失う前ではなく“身体が動く間”と書いたのは何となくではなく、重要なのではっきり違うこととして書いている。救急車を呼ぶようなアレルギーが起きたときは意識があっても電話機のボタンが押せない。指が動かないので押してるつもりでもボタンが押せない。また障害者や高齢者に配慮したボタンが巨大な公衆電話があるが、それも押せない。その公衆電話はボタンを押す力も少し弱くなっているがそれでも押せない。指はあきらめ握りこぶしで119を押そうとしたことがあったが身体がコントロールできないので全然ボタンを押せない。1や9以外のボタンも含め、そもそもひとつもボタンが押せたことがない。握りこぶしも中指を浮かせて関節で押そうとしたり、親指や小指を使おうとしたり、いろいろやったが出来たことがない。
そもそも、意識があっても目が見えない。その時は目をぱちくりしたり、顔を叩いたり、色々するが見えないものは見えない。そのうち耳も聞こえなくなってきて、皮膚の感覚とか、身体の感覚とか、重力の感覚とか無くなる。なのでどちらが上か、下か、自分が立ってるのか倒れているのか逆立ちしているのか、階段を転げ落ちているのか本当に全くわからない。そういう状態になるので、冷静に行動すれば目や耳が聞こえなくても電話機を手に取り、ボタンの配置や、ボタンのポッチ(目印の突起が付いていることが多い。公衆電話は絶対付いているし、家庭の固定電話機や携帯電話でも付いていることが多い。スマホじゃね。視覚障害者には本当に困ると思う)でボタンの並び順を思い出しながら電話するというのはできない。無理だ。住みなれた自宅でも目が見えず、耳が聞こえず、身体の感覚がないので歩けない。歩ける以前に立っているのかひっくり返っているのか、歩く動作しようにも身体の感覚が全くないので身体が動いているのか動いていないのか全く分からない。病院で回復すると目や耳も回復してくるし、感覚も戻ってくる。とにかく救急車を呼ぶほどのアレルギーが出ているとこういう状態なので一切ちゅうちょせず救急車を呼ぶ。近くの病院に行くというのは選択肢にない。歩いているうちに死亡する。チーズのチヂミの子は15分後には完全死亡だから。一切、大げさではない。本当のことだ。
だが、経験していない病気だと怖くて病院に行きたくない。『死にますね』と急に言われたらどうすんのよ。覚悟してないのに病気を告げられるとものすごいです。経験したことがない人にはわからないだろうけど。ちょっと調子悪いなーと思って病院行ったときに、このまま入院です。家族や親せきの人、呼んでください、と言われた時のショックね。あーた。もうショックとかの問題じゃないもんね。死ぬほど調子悪かったなら<あるかも>と思えるかもしれないが、“ちょっと”ですよ、“ちょっと”。ちょっと調子悪くて、しかも病院目指して出かけたのではなくて、ついでに行っただけでそんなこと言われた時は、ほんとに目の前が真っ暗になりますよ。医者も覚悟が出来てない状態の人には伝え方、言い方を考えてほしい。自殺する気はないのに(だからこそ病院に行ったわけで)、家族に迷惑かけるから死のう(死のうかな、じゃなくて、「死のう」)と決断したくらいだから。
私も、何が原因なのか、病気なのか別のことなのか、あちこち行って長いこと悩んでいたことが判明したときはむしろ安心した。
でも、なにも心配せず覚悟していないときに病気だといわれるとものすごくショックだし、落ち込む。死ぬような病気じゃなかったとしてもだ。何でもかんでも、いつでもバンバン言えばいいというものではない。