2013年11月8日金曜日

自分が考えていたよりはるかに気が楽に

精神科の診断がなくても、
介護認定による担当者が決まっていなくても、

自分としては間違いなく狂っているし痴呆だと思っていた。
テレビ番組に出る家庭と違い隠そうとも思ってなかった。
隠そうと思わなかったというより、もう手に負えないし誰がどう見ても狂って騒いでいたので隠しようがなかったというのがあるけれど。
だから、なんとか隠そうとか、なんとしてでも元に戻す、痴呆でない!愛情とか医者を変えるとか治療法を変えれば良くなる、周りが間違っていると妄想しているわけではなかった。
受け入れられず苦悩している家族たちとは全く違っていたけれど、

やはり
病院の医師に、医師の診断として「痴呆である」、
介護の人に介護してもらおうと思っていなくても、
介護センターから介護認定を受け、介護のケアプラン担当者が決まると、
自分が考えていたより、
もう圧倒的に、
全然想像していたより、楽になった。
介護を申し込んだわけではなく、預かってもらったり掃除してもらったりはしていない。なので体力的には一切楽になってないのだが、精神的にも肉体的にも別人の身体に取り換えたように楽になった。
私が先に死んだら自分で助けを呼ぶ知的能力がないから腐乱死体発見のニュースなってしまうとか、もうここまで大変なら一刻も早くとにかくすぐ死にたい、自分の寿命なんでこんなに長いのかとか、金が続かないからそのうち浮浪者になるのは時間の問題、でも痴呆の人間と路上生活ができるのかとか、毎日、起きている時間はずっと考え思い悩んでいた。夢にまで出てきて夢の中でも悩んでいてもう私はダメだった。
近年、自分は体調を崩し寝込むことが多くなった。もう自分は長くないだろうという確信と、私が死んでも何もできないしどうしようという予想と
もはや言葉で表現できない。感情とも考えとも言えない、環境とかこの世とか、そういうものも含め、表現できない。

私は暴力と暴言に疲れてしまった。排泄物や汚物の清掃や処理に疲れてしまった。薬を飲ますのも薬を飲む必要がないとか、必要がないのに無理やり飲ませている、殺そうとしているとか狂っているキチガイ!と怒鳴られののしられ暴力をふるわれ抵抗され精神も肉体も私はボロボロ。
体調が悪いが私が死んでも診断や認定があるので大丈夫だろう。
私はもうダメになってしまった。
若ければ可能性があるがもう私の年齢ではもうダメだ。もうやり直すことも取り返すこともできない。いくつでもやり直せると人はいうが、それは健康な人の場合。しょっちゅう寝込むようになってしまった健康人ではない人は行くところがない。
私の人生はダメになってしまった。
回復する将来の可能性もないだろう。
でも私が死ぬことがあってももう大丈夫。
私はどこかに半年か1年以上入院したい。
肩の荷が下りた。

今魔法ですべての状況を元、あるいはそれ以上のうまい状態にしたとしても、将来私はボケるだろう。今見ている出来事は私が生きていればたどる未来だろう。未来に希望がないというより、むしろつらく厳しい未来の状況を今見ている。つらくて私は見たくない。人は耐えられる大きさが一人一人違っている。ああなってしまうのかと思うと怖いし生きていたくない。私がそうなる前に治せるようになっていれば別だが、現実はいろいろな病気の人が『もう少しで画期的な治療法が突然開発されて治るかもしれない』と願い思いながら亡くなっていく。自分の時だけうまくいくのではないかという思いがないわけではないが現実は現実にしか進まない。空想や願望や希望が現実を支配しているわけではない。以前書いたことがあると思うが白いフワフワのカビが生えた食べ物を生ごみ入れに捨て、時間が経ったら自分で生ごみ入れから戻してきて食べてしまった。本人は、その時は汚いと思っていないが本人の認識がどうだろうと汚い。そうなってしまう。親戚で年取る前に死んだ人を除いてボケている人の数を考えれば……
こんなつらい未来が私にくるのなら生まれたくなかった。