プラスチックごみの自宅内の置き場を7月に変えた。人目に付く場所からより目立たない場所へと、以前から不適切だと気になっていたのをやっと適切な場所に変更できた。それはいいのだけれど、急に捨て場がわからなくなったようだ。プラスチックごみを以前の置き場に持っていったり、今日はなぜか家の中で一番遠いベランダに持っていった。h8月3日の「入浴時に持っていったタオルがどこにあるかわからなくなった」あたりから問題が起きている。
場所を動かしたといっても何メートルも動かしていない。台所で立てる位置はある程度決まっていて、それらの位置からは新しい置き場も前の置き場も見える。生ゴミも、プラスチックごみも、びん・缶・ペットボトルのゴミも台所で出ることが多いので台所内か、すぐ近くに捨て場がないと日々の生活が不便でしょうがなくなる。そんなに台所が何百畳もあるわけではないし見失うのはおかしい。そもそも見失う以前に、見えている。
ベランダに持っていったことについて聞いてみたが『乾かすため』とか言っていた。しかし、わが家でプラスチックごみをベランダに干し、乾かしたことなど一度もない。そんな風習や習慣はないししたことがない。乾かすほどびちゃびちゃのプラスチックごみを遠いベランダまで持って歩いていたら家中汚れた水で床が汚れる。いつも水切りかごである程度水を切ってプラスチックごみの袋に集めている。それに、その直前のところてんのパックはプラスチックごみの袋に自分で捨てていた。2パックのうち、ひとつはゴミ袋に、もうひとつはベランダに干す理由がわからない。そんなに乾かすことにこだわるのなら二つとも干すべきだ。何秒も経ってないのにゴミ置き場の場所がわからなくなるというのはどういうことか。しかも見えているのに。さらに言うと目の前に。目が悪いというのなら、あの距離にある大きなごみ入れが見えないのなら家のドアも見えないだろう。何メーターか離れたら自宅が見えないほど目が悪いということになるだろう。そこまで悪いと障害者手当が貰えるだろう。
以前からおかしい。こういうことが良くある。
ブラウン管テレビの操作がわからなくなって『新しくなったからわからない』など古い機種の操作方法を『新しいのに買い替えたからわからなくなった』と主張する。家電製品に何の愛もフェティシズムもないので、壊れたら買い換えるだけなので、買い直したからわからなくなった、操作方法が変わったということはない。(ブラウン管)TV、冷蔵庫、風呂釜、掃除機と『新しく買い替えられてしまったからわからなくなった』という主張をすることがあるが、それをされるとほとほと疲れる。事実と全然違うからだ。買い替えたものは壊れたから買い換えたものばかりで、製品寿命まで使っているので当然十数年使ったものばかりだ。十年以上経っているのに『(おまえが)買い直したから(わたしが操作方法がわからず)使えなくなった』と言われるとへとへとになる。人には意外だろうが、大変疲労する。
それでいて逆に新しいものを『前からあった』と主張することがある。私の(父)おじいちゃんから貰ったとか、先祖代々引き継いできたものとか。3年前や5年前には地球上に存在してなかった新ジャンルの製品なんだけど。人類はその製品を最近初めて手に入れたんだけどとか思うと疲れる。あまりにもおかしいので反論しないが、頭の中で考えているだけでもかなり疲れる。
今は病院で認知症と診断してもらっているもう一人のほうも、まだ体力があり身体もよたよたしてなかった頃に金づちを持って暴れたりされると極度に疲労した。もうまったく立ってられないほど。救急車呼んで入院したいほどの疲労で、イスに座っている姿勢を維持できないほど疲労した。こう書くと『やはり包丁や金づちを持って暴れている人を抑えつけたり格闘するとそれだけ体力を使うんだろうなあ』と人は思うが、もう刃物や武器を持って暴れた時点で110番しており、電話口で身の安全を確保することを最優先し、離れて決して近づかないように。警察来るまでいっさい自分たちで何とかしようとしないようにと言われ、その通りにしているので格闘はしていない。110番通報するだけで体力を使い果たし、座る姿勢さえ維持できないほどは体力がないわけではない。
長い時間が経過し、今思い出し考えてみると、精神的ショックなのだろうと思う。
ただ、当時は暴れていたり、石油を撒いていたり、水や油を加熱し私たちに掛けようとしたりと行動のほうが問題で、それしか頭になかった。もうそれしか考えていられなかった。よそのうちも関係なくきれいにしようと思い立つと火を付けようとするし、はっきりいって誰でもその行動のほうに頭がいっぱいになるだろうし、そうすべきだろう。自分の体調の分析どころじゃない。自己の内面の探究をして、「隣の家に火つけた?ああそう。内面の追求が人間には一番の高度な思考だからね、それはあとでいいや」というわけにいかない。
考えてる余裕なかったものね。でも格闘したわけでもないのに立ち上がれないとか、水も翌日の夕方くらいまで飲めないとか、精神的ショックなのだろうと思う。精神的ショックというと脳内、心の中だけの問題と思われがちで、自分もそう思いがちだが、現実的な体調不良とか、水も飲めないとかの物理的な症状が出る。精神的ショックとは、十数年たってわかった。