中年以降は甘えんぼで歳とってからはかなり甘えんぼさんだった。
食事、水を飲む、トイレ、(ネコの)独り遊びにも必ず「付いて来てー」と付いて行く必要があった。
かわいー、と人は思うかもしれないが必ず毎回呼ばれるのでかなり大変だった。
前日の20日 金曜日にネコのトイレの砂と吸収シートをホームセンターに買いに行った。
介護で疲れていて、出歩かないので体力が落ちているので少し歩くだけで相当疲労するが買いに行った。
配達を頼んだら珍しいことに翌日の午後と言われた。
いつも3日は先で、混雑時期はほぼ1週間先になることが多かったので(えっ、ホントに!?)と思った。
まあ喜ぶ顔が見たくて次の日を選んだんだが
それが次の日、21日深夜(21日午前)に死亡するとは。
次週、特別養護老人ホームのショートステイが取れたのでその時、老猫用のエサ、美味しいのをたくさん買ってこようと思ってたのに。体力が落ちすぎているので猫砂とエサとか一度に多く買える状態ではない。
まさかね
エサどころか新しい良さそうな吸収シートとか猫砂も封を開ける前に死んでしまうとは。
封を開けるどころか配達が到着する前、朝には死んでるのを確認するとは。8時半。
21日土曜深夜2~5時の間に死んだんだろう。
トイレ行きたいという鳴き声を聞いたのが夢でなければ、その時の声は苦しくて声を上げていたのかも。
声は苦しそうではなかったし、よそのネコに襲われた時のような声でもなかった。いつものトイレ行くときや水飲むのやカリカリ食べるときに「ついて来て~」という声だった。
あれが最後だったのかなー
気づいてあげられなかった。
その時気づいていれば死ぬのを看取れたはず。抱っこした状態で死なせてあげたかった。
風邪とか引いてたわけじゃないので心臓や脳が原因で死んでしまったのだろうから、自分が起きても死ぬのは避けられなかったろうけど死ぬのを見ててあげたかった。
一人で死なせずに済んだ。
かわいそうに
かわいそうなことをした。
かわいそうなことをしてしまった。
その日家に2人いてちょうど二人の中間あたりに寝ていた。倒れてたんだろうけど、寝ているようにしか見えなかった。起きているときは多くの人を監視できる場所にいることが多かったので(まーたこんなところで。こんなところで寝るなんて風邪引くぞバカネコちゃん♪)(珍しいね、寝るときにここに来るのは。ま、たまにあるけど)と思っていた。
苦しかったかなー
痛かったかな
苦しまず逝ってくれてたらいいけど
苦しんでたんならかわいそうなことをした。
電気つけなくても毛並みが少し乱れてたことは気付いたし、((毛を直すため)起こしたらかわいそう)と思った自分に腹が立つ。あのときなら温かかったかも。
深夜トイレに行ったときには目が開いた状態だったのでその時にはダメだったと思う。でもぬくもりが生きているときのようにあったかも。
朝、「えっ」と思って目を見たときの○ちゃんの目が
見た瞬間死んでるのがわかった。
生き生きとした、生きてる感じが全くない目。おおざっぱにいえば売ってる死んだ魚の目の系列。
動かないし目に(視線に)力がないし。力がないというか、力そのものが一切無い、根本が無い感じ。
ぬるかったのに冷えていく身体。これが結構つらい。
母ネコが死ぬ日は朝、見たと同時にわかった。
だから出さないようにかなりしつこく頼んで出勤した。
でも家に帰ったら外に出してしまっていた。
それが最後。
『出せ」と言ったら何が何でも出させるネコだったので、まあ無理だったかなとも思う。(でも、出してほしくなかった。絶対今日死ぬからと何度も言ったのにとは思った。だから言ったのに、と思った)
母ネコは探し回ったものの遺体が見つからなかった。
お気に入りの場所があったので、そこだと推測するものの人間が入れるところではなかったので結局、本当のところはわからない。「多分、そこだろ」というだけ。確信はしているけど見たわけじゃないので。
でも死ぬ最後のほうはそこばかり行ってたので間違いない、と私たちは思っている。
遺体が見つからない、死んだ場所がわからない、ということでそちらに気が行っていた。
悲しみよりも、病気で苦しんでいたし、見られる状態ではなかったので『楽になった?よくなった?よかったね。あの世では苦しまないんだよ』と私たちは言っていた。
それらのことから悲しみより探究、探すほう、探す気持ち、探したい見つけ出したいほうが主で、気が気でなかったので悲しみはあまり……
やっと片が付いて(母ネコが)楽になった、良かった、もう苦しまなくて、という考えか気持ちのほうが強かった。
したつもりがなくても、覚悟していたので(覚悟できていたので)悲しみはそれほどでもないな、と頭の中の第三者的な感覚が思っていた。
居なくなったさみしさとか、探してあげたい・死んだ場所を見つけ出したいというのが強かった。
そういう経験があったので、母ネコよりはるかに歳を超えた老猫だったので常に「死んだらね」ということを話し合っていた。
覚悟できていると思っていた。
ただ、まだまったく死ぬとは思ってなかった。まったく元気だったし、病気中というわけでもない。むしろその直前まで元気だったんだから……
死ぬと思ってたら猫のトイレの砂とか吸収シートなど買わない。
ホームセンターなどに買いに行かない。
老猫用の餌を次の週買いに行こうと計画は立てない。
私は体力が落ち、体調が悪い。その日に死ぬことがわかってたら体力・体調から、遠いホームセンターに行ったりしない。
むしろ一緒にいてあげたい。
なんで死んでしまったのか。
せめて一枚でいいから買ってきた物を開封して使わせてあげたかった。一度でもよかったのに。
後悔。
喜んでもらおうと思って行って、選んで、買ってきたのに。
未開封で新品のままなんて。
悲しい。
せめて見させてあげたかった。使わなくとも。
予期してなかったからショックで。
冷たくなって表情が次第に変わっていって、苦しそうになったり、さみしそうになったり、こちらを見ているように見えたり。
どんどん硬くなってふっくらとしていたところが縮んで。頬やお腹がへっ込んで、肉付きがやせ細って。
毛もどんどん悪くなってる。
剥製のように持ちあがる身体。
この猫は持ち上げるとビヨーンと伸びきっちゃう猫さんで、足もビーっと伸ばしきるネコだった。生前のその姿を覚えているので抱き上げようとすると、持ち上がり何もしない○ちゃんを見てると泣きたくなる。
泣きまくりたいのにショックと混乱が大きくて全然泣けない。
ごめんね、○ちゃん。悪いご主人様で。よくない飼い主だね。
カリカリや、カリカリの袋を動かした時の音で大声で鳴きながら飛んでくるのに、やっぱり何にも起きない。生きてるときと変わらないのに顔は一切動かない。身体も動いてくれない。
もう友達、一人もいなくなっちゃった。
介護で全部の時間を使っているのでとっくに友達はいなくなった。
遊ぶ相手も話す相手も居なくなった。
私にはこの世に友達は一人もいない。
毎日、介護にかかる金を計算し、使える保険点数を考え連絡を入れるだけの毎日、スポーツ運動療法のケアとかデイ、泊まり、特別養護老人ホームのショートステイとか、脳+運動プログラムとかいろいろな施設の提供プランを考え、組み立て、申し込んで、予約取れるか施設やケアプランの業者のケアマネージャーに連絡入れるだけの日々。予定もプログラムも複雑すぎてわけがわからない状態でストレスがすごい。
それが気を紛らわせてくれるネコちゃんがいなくなってしまった。
喧嘩する相手もいなくなってしまった。
まだついぬるま湯を水飲みの器に入れたり、猫砂を捨てるための小さなビニール袋とか取っておいたりする。「ああ、そうか、しまった。いらないんだ」と思う時のつらさ。
こんなにつらくさせるなんて。
でもいい子だったよね。
バカネコとか悪い猫とか言ってたけど、いつもいい子で甘えん坊(でもばあちゃん)だもんね。たまに悪い子だったけど。ごめんね。逆のこと言って。
全然元気だったからさ
ご主人様ね
予想外の急死で
悲しくって悲しくって
予想してなかったら
受け止めきれないよ
○にとって母親だったのか父親だったのか、姉妹兄弟だったのか友達だったのか、恋人だったのか、夫婦だと思っていたのか
私のことを人間と思っていたのかネコの一種と思っていたのか
聞いてみたかったなあ
生きてても聞けないけど
聞けるようになってほしかった
一度、おフロにも入れてみたかった。どうだったかなー。○はすごく嫌がったろうな、絶対。狂ったようになるはず。すぐそうなるネコだったから。
新品の猫用品を見るのがつらい。
もう温かくてフニャっとしてて触り心地が抜群にいいネコちゃんいなくなっちゃったね
悲しい、さみしい
もう動物、特にネコは飼いたくない。絶対。最後。もう嫌。
死ぬ様子、無かったのよ。全然。まったく。
20年越えは無理と思っていたけど二十歳近くまでは大丈夫ではと思っていた。母ネコとは8年違いで死亡か。
こんなに淋しく悲しくさせて。でもいい子だもんね。悪い子じゃない。いいネコちゃんだったもんね。
さよならね。ご主人さま打ちひしがれているけど、もうちょっと頑張って埋葬しなきゃね。そこまでは何とか頑張らなくっちゃ。このままじゃ、かわいそうだもん。
バカネコちゃん、最後にわがままして。でも最後のわがままだから聞いてあげなくっちゃ、ね。最後だもの。好き勝手にさせてあげる。悪くないよ。なんでも結うこと聞いてあげる。
でも一度だけもう一度動いて欲しいなあ。