2011年10月10日月曜日

[自分用]PC掃除

CPUが高熱になりすぎ動作周波数が下がった現象が起きたので掃除。
最近掃除の間隔が劇的に短くなっているがどうしたのだろう。
それに常時温度表示をさせて使っているがそれほど温度が高いわけではなかった。むしろもっと高い時はいくらでもあった。エンコードしていたわけでもないし。花粉症だから毎日、花粉症の季節には何度も掃除しているのだが…。

今はもうエンコードすることは全くない。HDDが安いし番組は見たら消すだけなので、時間と手間をかけて保存するわけでもない動画をどうかすることは一切ない。今から思うと地デジ・コピーワンには感謝感謝で本当にありがたかった。編集が一切できず、見てディスクに書き込むか、見て消す、それしかできず、以前のようにCM編集や自分なりの名場面集・お気に入りを作ることができず、放送局が用意したものをただ見るだけでものすごく不満だった。だがその時期があまりに長すぎた。すっかり慣れてしまい、そして取っておきたいものなどない、取っておいても後で見ることなどない、ということに気付いてしまった。映画だって結局何度も再放送されるし。
ディスクに書き込めばある程度異なる機器に入れても見れるが、権利側がPCのデジタル放送チューナーボードをずっと認めなかったり、見れるように規制を緩和してもキャプチャー禁止とかDVDなどに書き出し禁止とか、その機器専用の独自規格でほかのプレーヤーで再生できないように指示したりとか、そういったことで同機種を買っても製造番号が違ったり、ハードディスクを初期化してハードディスクのIDが変わったり、OSを再インストールしたりすると取りためたものが全部、いっさいが見られなくなってしまう時期が長すぎた。

そういった、どれだけ大切だと思っていたとしても全部がパーになってしまうことを繰り返していくうち、テレビとか映画は趣味的なものではなくて消費するだけのものだということに気付いた。
どれだけ好きな番組や映画でも数百回も見ない。それどころか数十回を条件にしてもそんなに見たことがない、ということに気付いたし、頑張って編集してたけれど、編集は大変でかなり頑張らなければまとまらないのに、その割に「それを見るか」というと見ないことに気付いた。頑張ったことだけでカタルシスというか…、頑張ったことに満足というか…。

おかげでテレビに金を掛けなくなった。見て終わりなのに画質がどうのとこだわりもないしコマ落ちとか、録画の最初や最後が乱れたりちょっと切れてたりしてももう全然気にしない。どうでもいい。
消すんだから。
お仕着せのあつらえたものを押しつけられるだけで結構となった。デジタル放送・コピワンには感謝している。コピー9 + ムーブ1(ダビング10)のときにはすっかりそういう状況になっていて遅すぎた。同じものを2枚に書き込んだことは動作確認のためにした時以来一度もしていないし、孫コピーができるようになっても今から編集してマイオリジナル場面集など絶対作るわけがない。
二万ぐらいのテレビで充分になったので大満足だ。経済的に楽になった。それでもテレビに万単位で金を使うのがもったいない。数千円くらいの価値しかないのだからその程度にしてほしい。

テレビもブラウン管の時代は大きくしたいと買うたびに大きくしていっていたが、今はもうたかがテレビごときに場所を取られたくないので22型とか20インチ前半から10数インチクラスで充分。
本当は要らないし、たいしてテレビが好きではなかったので一人暮らしの時は持ってなかったが年寄りにはどうしても必要なので仕方がない。子供がテレビを見るというが、現実は「子供はテレビが付いている状態」が好きなのかなんだかわからないが「見ないのに(とにかく)つけておく」→実際は見てないのに対し、年寄りは神棚や仏壇よりもテレビが大切だ。
朝から晩までテレビ教のようにずーっとテレビを見ている。何せ、「つまらない」「ほんと(今放送中の番組が)つまらない」と文句を言いつつ、拝むようにテレビを見続けている。何がいいのかサッパリわからない。子供たちに対して「照明代わり(のよう)に付ける」と世間では一般に言うが、年寄りは照明よりよっぽど悪い。冷蔵庫のように朝昼晩、常に、寝てても付けている。意外と子供って見ていない。遊びとか友達と遊ぶ事が多い。
放送終了して何も映ってなくても付けていて、消すと「見てた」「消さないで」という。よだれ垂らしていびきをかいていたことを指摘しても「見てた」「消さないで」と怒る。テレビ局が放送してないのに画面を見ているとしたらボケか精神病だろとこちらは思い、呆れる。