洗濯用柔軟剤のラベルがきれいにはがしてあった。まだ入っているので剥がした理由を聞いたところ、いろいろ異なる理由を言うがイマイチ何が言いたいのかわからない。ズタズタでぼろぼろになって勝手に剥がれたとか、取ったとか言うが何日か前使ったばかりで何ともなっていなかった。大体、剥がしたけど勝手に剥がれてきたというのは矛盾している。
ラベル剥がしは不定期に凝る。
洗剤も食品も医薬品も農薬も剥がしてしまうので、何が入っているのか、使用法・用量・使用期限・併用してはいけない物が全く分からなくなるので困るからやめるように何度も言っていたが、定期的にこうなる。
しかも後で自分も何が入っているのか、用法・用量がわからない、困る、誰が剥がしたのか、誰がやったのか、まったくバカなことをする(やつだ)、とんでもない!、と憤る。やったのは自分でしょうに。全く覚えてないようなのね。
ほんとに困るからやめてくれ、お願いだから剥がさないでくれと、怒ったり懇願したりなだめたり気をそらしても、寝ている間にやるのか次の日までには剥がしてしまう。何が何でも剥がす。マイナスドライバーとか包丁とかペンチを持って剥がしているときの思いつめた悲壮感のある、鬼のような形相を見るたび『もう私も一緒に暮らすのは無理だな』と思う。怖いし。やってる姿・行動が怖いという意味もあるし、自分が何かされるかもという意味でも怖いし。
なんだかボケなのか、気が触れているのかもう分らない。もう疲れてしまった……
診断が間違っていて45軒以上病院通ったとか、今日も健康番組で大病を患った芸能人が実体験を語っていた。
かかりつけ医、かかりつけ医と昨今はうるさいが、かかりつけ医は診断を間違い、大きな病院へは紹介せず、かといって大学病院や国公立大学病院、赤十字や労災などの大病院に行ってもやっぱり見つからなかったと、健康番組の出演者や、近所の人たちが経験を語っている。自分も経験して実感している。どこもダメだ、四面楚歌。
猫は寿命が近づいてきて大変手間がかかるし疲れた。死ぬ直前になると心細くなるのかテレビを操作したりエアコンのリモコンを操作するのに一、二歩動く程度でも、もうひしっとしがみついて大変だ。死が近づいてきているときの行動は甘えるように寄り添うのではなくて、爪や牙で怪我して出血するほど狂ったようにするので、文章読むイメージと実際の大変さとは大きく違う。
さらに進んで猫も死ぬ1週間くらい前あたりからはボケてきて、水飲みたいのかオシッコしたいのか食べたいのか寝たいのか抱っこされたいのか、自分でわからなくなってグルグル回るようになる。そのままおもらしするようになるし、本来猫はにおいが少ないけれどすさまじいにおいがするようになる。毛づくろいも同じところをやりすぎて禿げて、血だらけになっても同じところばかりやるようになる。まだ1週間前というところまで行ってないようだが、食べているのにたった1日で身体が小さくなったり、異様に軽くなったり(ホントにもう死が近づくと体重がないかのよう。身体が小さくなったとはいえそれなりの大きさがあるのにティッシュを持ってるかのように軽くなる)、毛並みがいい猫だったのに雑巾みたいな毛になったり、異様に甘えん坊になってトイレやフロまで監視してついてくる。
これが最後の猫なので死んだらもう何も飼うつもりはない。
『年齢をとると猫や犬など何らかのペットを飼わせたほうがいい』と世間では言っているが、それは全くの間違い。近所の高齢夫婦の家庭などいくつか知っているがどこも本当に迷惑して困っている。『定年になったら夫婦で旅行して歩こうと言っていたのに息子が買ってよこしたので全然出れない。「ペット居たほうがいい」と置いて行ったが迷惑千万』とか、歳とって足腰弱って毎日病院行くのにペット居るから2人で行けない。一人で遠い病院に行って良く迷子になる。介護が必要なのに餌は買いに行かなきゃならないしトイレの世話や散歩に連れてかなきゃこの世の終わりみたいに泣きわめくしでさんざん苦労する。入院しても、ペットの世話で誰か一人家にいなきゃならないので、入院してても一人きりで全部やらなきゃならない。と憤慨している。
残念ながら歳をとると五体満足じゃない人のほうが多くなる。
身体が思うようにならなくなっているのに、若い人や動物好きの評論家が『ペットを飼わせるほうがいい』と勝手な思い込みで決めつけ世間に広めるのはやめたほうがいい。ペットが好きな人もいればアレルギーの人もいるし、旅行が好きな人、人工透析が必要な人、いろいろいるので『ペットと過ごすことが幸せで、飼ってない人は不幸』と決めつけるのは良くない。
50代くらいまでは(重い糖尿病とか関節痛、ガンや成人病など期間の長い病気、人工透析とかなければ)大丈夫だが60代くらいからはやめておいたほうがいい。60代までは体力的にまだ大丈夫だが、ペットも寿命が来るまで生きているわけで、育て始めは体力・健康が良くても十数年後、同じ健康・体力のままではない。
今年暑さで何度も救急車で運ばれた人にどうしたのかと聞いたら、ペットがいて窓を閉めて出掛けるとペットが暑さで死んでしまうのでエアコンを掛けて出かけている。電気代がすごいので自分がいるときは暑くても昼も夜も窓を開けて扇風機で過ごしているから倒れる。救急隊員にも病院にもすごく怒られるが電気代がすごくて払えなくなるのでひどく怒られるが居るときはつけられない、と言っていた。やっぱりその人も『年寄りはペットがいるほうがいいから』と子供に押しつけられて、医者にペットと自分とどっちが大切だ!と怒鳴られても『子供が置いてったものだから。全く欲しくないんだけど。私が欲しくて飼ってる訳じゃないのに具合悪いのに怒鳴られて踏んだり蹴ったり。ほんとだったら怒鳴られる筋合いないのに。大体、具合悪くなったのは私で死ぬとしても先生じゃなくて私でしょう?はらわた煮えくり返ったわよ』と憤慨しながら育てている。
周りが勝手に『幸せは、こう(あるべき)』と決めつけると「健康のため、長寿のため」としたことが原因で生命が危うく、寿命が縮まってしまう。
もう私も(高齢者とは言わないが)やっぱり若い時とは体力がだいぶ違うし、体調不良だわで動物は無理。植物も激減させていて手間がかからないサンセベリア/サンスベリア(虎の尾)とポトスだけで充分。まあ花がないので(たまに咲くしポトスも成体になれば花が咲くが原産地の熱帯地方でないと育ち切れずまず咲かない。大人のポトスは葉っぱがとても大きい)ほぼ一年中咲いているカーネーションを育てればいい。茎や葉がみっともないので花以外は好きではないが手入れが楽で咲き続けるのがいい。本当はシャクヤク、バラがちょーかっちょいい!と思って好きだが、もう手入れ(病気・肥料・害虫・薬・定期的な植え替え)が大変すぎて私にはもう無理です。