特集社説2010年12月16日(木)付 愛媛新聞
都の漫画規制条例 守ったものは子ではなく大人
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201012160373.html
漫画「クレヨンしんちゃん」の主人公、野原しんのすけが近年、おしりをあまり見せなくなっている。
アニメ化された当初、しんちゃんの言動は社会現象になる一方、低俗番組扱いもされた。青年漫画誌の連載のためか大人受けする皮肉やきわどい性表現も見られ、親をばかにするようなセリフが子に悪影響だとして、保護者団体からやり玉にあげられた。
その騒動をパロディーにもしていた作者の臼井儀人さんは昨年、事故で亡くなった。生前に作風を変えたのはさまざまな理由があってだろう。
作品は作者の手を離れて世に出た瞬間から作者だけのものではなくなる。読者や視聴者との対話、あうんの呼吸で作品は洗練もされうるし、受け入れられもする。
その過程に行政が入り込む余地はない。創作物に規制を施そうにも明快な客観基準を見いだせないからだ。親を敬えというのは道徳的善。性的なものへの寛容も嫌悪も十人十色。近代国家において法と道徳の分離は必要条件、権力が表現行為に不当介入しないことが十分条件だ。
事の重さを東京都議会は自覚すべきだった。この1年、物議を醸し続けた都青少年健全育成条例の改正案がきのう可決、成立した。いわゆる有害図書の指定制度が十分機能しているにもかかわらず、漫画やアニメ、ゲームの過激な性描写への規制を広げる。
18歳未満のキャラクターを示す「非実在青少年」という不可思議な文言は削除されたが、規制対象がよりあいまいになった。作家や出版社への萎縮効果は絶大であろう。
今回の改正論議が一貫して行政主導で進んだことから、摘発強化に重点が置かれたのは明白だ。条例を所管する都の青少年・治安対策本部は警察幹部OBがトップを務め、警察庁出向者もいる。
親が有害と感じるものを子から遠ざけたい思いは自然だが、懸念はたいてい取り越し苦労である。表現物の性的描写と実際の性犯罪とは何ら因果関係を見いだせないとするのが定説だ。何が有益かを判断する力は、家庭や地域が学びの機会を与え、多様な情報に触れる中で子自身が磨いていくものだろう。
この条例が守るのは子ではなく、親のかりそめの安心、警察の威厳ではないか。
問題作「クレヨンしんちゃん」はすっかりホームコメディーの定番となり、行政がお墨付きを与えるほど。評価は時代によっても変わるのだ。
不快なものを排除する規制のたぐいは、歯止めがかからなくなる。戦前の言論統制も国民に分かりやすい漫画の規制から始まった。独善的な正義や道徳で作品を焼く者は、いずれ人をも焼く。それこそ歴史が証明している。