2008年2月5日火曜日

網膜再生し失明も治療可能に 理化学研究所 詳細記事

http://release.nikkei.co.jp/detail.cfm?relID=180946
業種 メーカー / 化学・医薬品 発表日 2008/02/04
企業名 (独)理化学研究所 ホームページ:http://www.riken.go.jp/

理化学研究所など、ES細胞から視細胞へ高効率で分化させる手法を開発

ヒトES細胞から視細胞へ:既知の因子のみを用いた分化誘導に世界で初めて成功
-胎児網膜を使わずに20~30%の高効率の分化を達成-

◇ポイント◇ 
・マウス、サル、ヒトのES細胞から視細胞の誘導に成功
・成分が不明な血清などを用いず、既知成分だけで試験管内分化させる手法を確立
・難治性網膜変性疾患に対する移植細胞源として期待

 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は国立大学法人京都大学(尾池和夫総長)と共同で、ヒト胚性幹細胞(ES細胞)から光を感知する神経細胞の視細胞※1へ20~30%という高効率で分化させる手法を世界で初めて開発しました。理研発生・再生科学総合研究センター(竹市雅俊センター長)網膜再生医療研究チームの高橋政代チームリーダー、小坂田文隆研究員、池田華子客員技師らと細胞分化・器官発生研究グループの笹井芳樹グループディレクターらの研究グループによる成果です。
 視細胞や網膜色素上皮細胞※2の変性は、多くの網膜疾患や失明の原因となっています。これらに対する治療の可能性として、変性網膜に視細胞を移植する網膜再生が注目されていますが、入手困難な胎児網膜を使うため、胎児網膜に代わる移植細胞源が求められていました。そこで研究グループは、試験管内で培養し大量に増やすことができるES細胞から、視細胞や網膜色素上皮細胞を分化誘導し、移植細胞源とする方法の確立を試みました。これまでにマウスのES細胞から網膜前駆細胞へ分化する方法は明らかになっていましたが、既知の成分だけで試験管内で視細胞を得られないという問題を根本的に解決することができませんでした。特に、ヒトに応用することを考えた場合、感染や拒絶反応などの原因の可能性がある血清や組織を用いない分化誘導方法の開発が求められていました。
 小坂田研究員らは、胎児網膜中に含まれる分化誘導因子に着目し、視細胞を誘導する因子を探索した結果、ヒトES細胞から既知組成の培養条件で杆体(かんたい)視細胞※1や錐体(すいたい)視細胞※1からなる視細胞を大量に得る手法を確立し、同時に、ヒトES細胞から網膜色素上皮細胞を分化誘導することにも成功しました。
 本研究の成果により、ヒトES細胞から分化させた網膜細胞が胎児網膜に代わる移植細胞源として活用することが可能となり、これまでの網膜移植の根本的な問題を解決することができると期待されます。今後、ヒトへの応用を目指すには、これらの分化細胞を用いて網膜変性疾患のモデル動物に移植を行い視機能を評価し、有効性や安全性などを詳細に調べる必要があります。
 本研究は、文部科学省のリーディングプロジェクト「再生医療の実現化プロジェクト」の一環として行われたものであり、科学雑誌『Nature Biotechnology』オンライン版(2月3日付け:日本時間2月4日)に掲載されます。


1.背景

 網膜(図1)は中枢神経系の一部で、一度傷害を受けると修復が極めて難しい組織です。日本で約3万人の患者がいるといわれる網膜色素変性※3は、光を感知する視細胞の生存・維持に必要な遺伝子の異常が原因で、視細胞が変性・脱落し、やがて失明することが知られています。また、欧米で高齢者の失明原因の1位を占める加齢黄斑変性※4では、脈絡膜からの血管新生などによって網膜色素上皮細胞が変性し、2次的に視細胞が細胞死を引き起こします。現在までにこれらの網膜細胞変性に対する有効な治療法はほとんど確立されていません。
 胎児網膜由来の視細胞を変性網膜に移植することにより、視機能が回復することが報告され(2006年 McLarenら、Nature誌)、脱落した視細胞や網膜色素上皮細胞を細胞移植により補充して網膜を再建させる網膜の再生が注目されています。しかし、胎児網膜は入手が困難なため、胎児網膜に代わる移植細胞源が求められていました。そこで、研究グループは培養により大量に増やすことができる胚性幹細胞(ES細胞)に着目し、これまでに、マウスのES細胞から網膜前駆細胞へ分化誘導することに成功していました(2005年8月2日プレス発表)。しかし、この方法では、未知の成分を含む血清を使用する必要がありました。また、網膜前駆細胞からさらに視細胞へ分化誘導するには、網膜前駆細胞と胎児網膜とを共培養する必要がありました。将来、移植に使うためには、感染や拒絶反応の原因になりうる血清や胎児網膜を使用せず、試験管内で大量に網膜細胞を得る方法の確立が望まれていました。今回の研究で、小坂田研究員らはマウス、サル、ヒトのES細胞から視細胞へ分化誘導する因子を探索し、既知の因子のみを用いた培養条件でES細胞から視細胞や網膜色素上皮細胞を効率的に得る方法を確立しました。


2.研究手法と成果

(1)マウスES細胞→網膜前駆細胞→視細胞前駆細胞→視細胞への分化誘導 
 研究グループではこれまでに、マウスES細胞からの網膜前駆細胞への分化誘導法を確立しています。今回も前回と同じ方法を用いて、網膜前駆細胞を分化誘導しました。具体的には、網膜前駆細胞に分化した場合に緑色に光る蛍光タンパク質の遺伝子を組み込んだマウスのES細胞に、1)Wnt(ウィント)シグナルを阻害するDkk-1、2)Nodalシグナルを阻害するLefty-A(レフティ・エー)、3)ウシ胎仔血清、4)増殖因子であるアクチビンA、という4つの培養成分を培地に添加して分化誘導を行いました。その結果、緑色に光る網膜前駆細胞が認められました。
 次に、この網膜前駆細胞を視細胞へ分化させるために、網膜前駆細胞だけを分離し、培地に5)Notchシグナルを抑制する化合物であるDAPTを処置し、視細胞前駆細胞を誘導しました。これまでの報告で、生体の発生の過程でNotchシグナルが抑制されることにより視細胞が誘導される仕組みが明らかになっており、これを試験管内で再現するためにDAPTを使用しました。続いて、この分化した視細胞前駆細胞を視細胞にさらに分化させるために、生体において視細胞の発生に必要な因子として知られている6)レチノイン酸、7)タウリンなどを培地に添加したところ、錐体視細胞と杆体視細胞を共に誘導できることが明らかになりました。

(2)サルES細胞から網膜前駆細胞→網膜色素上皮細胞・視細胞への分化誘導
 次に、動物由来の細胞や血清を使わずに視細胞や網膜色素上皮細胞へ分化誘導するために、サルES細胞を用いて検討しました。マウスES細胞の培養系でも使った因子の中で1Dkk-1と2)Lefty-Aを培地に処置して、サルES細胞を分化誘導しました。この処置期間をこれまでより長くすることによって、3)ウシ胎仔血清、4)増殖因子であるアクチビンAを使用せずに網膜前駆細胞を効率良く分化誘導することができました。その後培養を続けたところ、色素を有する多角形状の網膜色素上皮細胞への分化が認められました。一方、マウスES細胞の場合と同じように網膜前駆細胞を視細胞に分化させるために、分化因子である6)レチノイン酸と7)タウリンで処置したところ、杆体視細胞および錐体視細胞へ分化することが認められました。以上の検討により、ES細胞から既知組成培養条件下で網膜細胞を分化誘導する方法を確立できました。

(3)ヒトES細胞からから網膜前駆細胞→網膜色素上皮細胞・視細胞への分化誘導
 サルES細胞で確立した分化誘導方法を用いて、ヒトES細胞を網膜細胞へ分化誘導しました。同様に、1Dkk-1と2)Lefty-Aを培地に添加したところ、ヒトES細胞は網膜前駆細胞へ効率良く分化しました。
 さらに、そのまま培養を続けたところ、色素を有する多角形状の網膜色素上皮細胞が認められました。これらの細胞は、網膜色素上皮細胞の特徴である貪食能を有していることが確認できました(図2)。
 次に視細胞に分化させるために、分化因子である6)レチノイン酸と7)タウリンで処置したところ、杆体視細胞(図3)および錐体視細胞へ分化することが認められました。これらの細胞は、視細胞に特有な光刺激を電気信号に変換する因子を発現していました。これにより、動物成分の血清や組織などを使わない既知の因子だけを用いた培養方法で、ヒトES細胞から20~30%の効率で視細胞を得ることに成功しました。


3.今後の期待

 今回の研究により、マウス、サル、ヒトのES細胞から、視細胞、網膜色素上皮細胞が得られることが明らかになりました(図4)。ヒトES細胞から既知組成の培養条件により視細胞や網膜色素上皮細胞が得られたことから、網膜の再生を目指した移植治療への利用が期待されます。しかし、実際に治療に用いるにはまだ多くの課題があり、(i)ヒトES細胞由来の視細胞の機能解析、(ii)視細胞のみを分離する方法の開発、(iii)網膜変性モデル動物への移植、その視機能の解析、(iv)拒絶反応の解析、(v)腫瘍の形成などの安全性の検証、などを詳細に検討する必要があります。一方、本研究で確立した分化誘導法を用いると、ES細胞と同じ性質を持つiPS細胞(induced pluripotent cell)※5からも網膜細胞を得ることができると考えられます。また、この分化誘導方法により得られた細胞を用いて、創薬研究や毒性試験、眼の発生研究への応用も期待できます。


<補足説明>

※1 視細胞
 視細胞は光に反応する神経細胞で、光刺激を電気信号に変えることができる。この視細胞には大きく分けて2つの種類の細胞があり、1つは杆体視細胞で、主に暗いところでの物の見え方などに関与する。もう1つは錐体視細胞で、主に中心の視力や色覚などに関与する。

※2 網膜色素上皮細胞
 網膜の一番外側に位置する色素を有する多角形状の細胞で、網膜に栄養を供給したり、網膜と脈絡膜のバリアを形成したりする細胞。隣接している視細胞の外節部分を貪食する(貪食能)という特徴的な性質を持っており、視細胞の機能発現、生存・維持に非常に重要な役割を担っている。

※3 網膜色素変性
 網膜色素変性では、視細胞のうち主に杆体視細胞が、細胞の生存維持に必要な遺伝子の異常により徐々に変性・消失し、視野が狭窄し、多くの場合、やがて失明に至る病気。日本人の患者数は約3万人。

※4 加齢黄斑変性
 加齢黄斑変性は、網膜下の網膜色素上皮細胞の細胞死や脈絡膜からの血管新生によって、2次的に視細胞が障害を引き起こす。先進国において高齢者の失明原因の1位を占める重篤な疾患の1つ。

※5 iPS細胞
 成人の皮膚などの組織から採取した細胞に、Oct3/4、Sox2、Klf4を遺伝子導入することにより作製される、ES細胞と同等の能力を持つ細胞。日本の京都大学再生医科学研究所の山中伸弥教授らの研究グループにより世界で初めてiPS細胞が作製された。
 ※図1~図4は添付資料を参照

●関連リンク
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京都大学 ホームページ

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