2008年08月26日 12:30
歴史で学んだ5つの嘘
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学校や伝記で習う歴史は、必ずしも正しいものばかりとは限りません。
国によって違ったり、時代とともに変わったり、適度に話が屈折されていたり、伝えられるときに誤解されたりしながら全く事実とちがう伝説が生まれたりします。
そんな事実と違いながら通説になった歴史5つをご紹介します。
コロンブスが地球が丸いことを発見した
【出回った歴史】
1492年にクリストファー・コロンブスという男がカトリック教会と君主を相手に、「地球は丸いので西へ西へ進み続ければアジアへ到達できるという」という考えを主張し、航海のための援助金を得た。
しかし地球は平らだと信じられていた時代なので、教会側と国はコロンブスが地球の端から落ちて失敗するのではないかと恐れた。そして確かに彼は目的地には到達できなかったが、それは地球が平らだったからではなく別の大陸に到達したためで、アメリカ大陸の発見によって地球が丸いことを証明した。
【事実】
1400年代と言えば、地球が平たいということが当然のように信じられていた時代であるが、実は2000年前にピタゴラス学派が地動説を唱えるなど、ギリシャの時代にはすでに地球の形が丸いという通説があった。
また、実際のコロンブスのナビゲーションテクニックは、地球が球体であることを基本にしたものであった。むろん平らだとして航路を取っていればとんでもないことになっていたであろう。
スペイン政府がコロンブスの冒険に援助金を出すのを渋ったのは、政府や教会の(地球が平らだという)概念を覆されるという理由ではなかった。皮肉にもコロンブスが地球のサイズを過小評価しすぎたためであった。
彼が計画した航海ではアジアの近隣にもたどり着きはしないことを周りはよく知っていたが、とにかく彼は何とか資金を集めてこの馬鹿げた航海の出発をしたのである。それ以来スペインとアメリカでは毎年大陸の発見(到着)を祝っている。
出回った歴史がどこから生まれたかというと、ワシントン・アーヴィングが1831年にコロンブスについて執筆した小説からである。小説はフィクションであったが、なぜかそこからいくつかの内容が歴史に滑り込んでいるのである。歴史の本を面白くしようとした編集者がいたのであろう。
アインシュタインは算数で落第した
【出回った歴史】
冴えない人を励ましモチベーションを上げようとする話し手は、この手の話が大好きである。
努力しても数学試験の結果は出ず、物理も成績は悪いまま。そんな彼が誰であろう、かの天才アルベルト・アインシュタインになったというのである。ということは誰でも天才になる可能性を秘めているのである。アインシュタインがそうであったように。
【事実】
まことに残念ながら誰でもアインシュタインになれるわけではない。実際は彼は12歳になる前は数学の天才であった。
その年頃ですでに算術や微積分学の天才だったわけである。彼があまりに優秀だったので、学校では能力を存分に発揮できないと思い、両親はさらに高等な勉強が出来るための学問書を買い与えたと言う。簡単にその試験に合格しただけでなく、学期末にはクラス全体を教えることができるほどであった。
では彼が学校を落第したという事実はどこから来たのか。1935年に刊行された「うそ?ホント?リプリーの大発見!」のトリビアのコーナーが元凶で、そこには「アインシュタインは大学に行くまで基本数学に何度も落第し続けていた」と書いてある。この本がまるで参考にならない理由は、著者はソースを明確しておらず、主張となる根拠は「著者がどこかで読んだ気がした」、「どこかで誰かに聞いた」といったいい加減極まるものでしかない。
しかしながら、「成功は努力ではなく生まれつきの天分によるもの」と再認識させられるため、事実は好まれないのである。
ニュートンとリンゴ
【出回った歴史】
物理学のイエス・キリスト、物理学の神、と言えば、アイザック・ニュートンと言っても過言ではない。
17世紀後半、彼は「科学」を発明したとさえ言え、運動の法則、光のスペクトル分析、音のスピード、微積分法などについて彼に感謝することができる。
おそらくもっとも有名な発見は万有引力(重力)で、伝えられている話によると彼は謙虚な数学者、物理学者で、リンゴの木陰に座っているときに、リンゴが落ち、彼の頭に当たったというものである。
歴史で語り継がれているものは、凡人であればそこで「痛い!このやろう!」と空を恨みがましく仰ぐところを、かのニュートンが得た最初のインスピレーションは、固体が落下するときに引っ張られる動作を万有の法則として公式で示すことであったというものである。そしてこの理論は非常に理に適っていて、その後200年ものあいだ修正されたり、覆されたりしなかったのである。
【事実】
ニュートンはリンゴについて述べたことはない。
実際にはジョン・コンデュイットと呼ばれる男がその60年後に初めてリンゴについて触れたのである。さらにその当時ですら、ニュートンが実際にリンゴを見たかどうか、リンゴが引力についてのアイデアの引き金となったのかどうかは、かなりあやふやに書かれていた。
「彼が庭で思索にふけっているときに、重力(木からリンゴが離れて地面に落ちる力)は、地球からある程度の距離に制限されるのではなく、さらに遠距離まで届くと思いついた」
これを見てもわかるように、ニュートンの頭に当たることすら書かれていない。伝えられていくうちに加えられた要素であることがわかる。
「高度な発見は、頭に閃光のようなひらめきを受けて、もたらされた」という話を一般人は好み、新たなすばらしい理論も自分たちがぼんやりと公園のベンチで時間を無駄にしているときに生みだされる、という願望からくるのである。
事実は、ニュートンは自分の理論を公式で示したり、完成させるためにかなりの時間を費やしている。さて、我々は次世代に事実を伝えるべきであるのだが…。
ニュートンは小さな数字で覆われた山のような紙の前でうずくまり、何ヶ月も何年もこの退屈で、静かで、過酷で、孤独な研究を続け、精神を病み、ついにその数年後には、水銀中毒により気がおかしくなり、亡くなっていったのである。
ワシントンと桜の木
【出回った歴史】
たとえ話として出回っているのは、アメリカの初代大統領であり、真のスーパーヒーローであったワシントンの子供時代である。
ジョージ・ワシントンは斧を手にし、目につくものは何でも片っ端から切っていた。ある日、父親の自慢の桜の木に目がとまり、深い考えもなしにこの木を切り倒してしまう。力のある父親に強く尋問されたというのもあるかもしれないが、ワシントンは嘘をつくことができず、自分がその張本人であることを告白するというものである。
【事実】
現在でもジョージ・ワシントンが神のような偉人であり続ける理由は、ワシントンの伝記を書いたメイソン・ロック・ウィームスという作家のおかげである。
ウィームスはワシントンの圧倒的なまでの不屈の精神や、誤りを犯さない判断力について、数多くのエピソードを復活させた。桜の木の話は特に重要で、ワシントンがいともたやすく何かを破壊する能力を持ちながら、それを選択しない、という人物像を示すからである。
ウィームスの記述には、「ワシントンの姿を見ると祝福された魂たちも恍惚となるようであった」「天使でさえワシントンの存在を知れば、神への忠誠心について考えてしまうほどであった」とある。興味深いことに、ウィームスはこれらの逸話をワシントンが亡くなってから出版したのである。
ワシントンが嘘をつくことができないというのは、戦争パロディ映画と同じくらい正確だと言えよう。
にもかかわらず、このウィームスの嘘のセットは、アメリカ史として学校の教科書に100年以上も掲載され続けた。理由は「ちょっとばかり背の高くて、戦争が得意で、特に魅力もない退屈な人」という事実よりは興味深い話になるからである。
この話は今でも広まり続けており、信頼されやすいセサミ・ストリートのようなメディアを通して、感銘を受けやすい子供の心に配布され続けているのである。
なぜ現代でもこの話が根強く残っているのか。そこには核となるメッセージがあり、斧を持っている本人なら正直に告白しやすいと言うところにある。
ベンジャミン・フランクリンの凧(たこ)と雷(かみなり)
【出回った歴史】
ベンジャミン・フランクリンも突然降って湧いて出たようなアメリカの偉大なスーパーヒーローで、科学者であり政治家であった彼が発明したものの中には、遠近両用眼鏡、尿道カテーテル、そして自由があった。
彼は特に電気に強い興味を示し、カミナリは電気であるとする彼の理論を疑う同級生らに対して実験を行ってみせ、正しいことを立証したというものである。
フランクリンは稲妻を伴う吹き荒れる嵐の中で、カイトの先端に電流を通す竿のようなものをつなぎ、たこ糸には鍵を付けた。このカイトに雷が落ち、電流がカイトを通り鍵まで届き、その鍵をフランクリンが触って静電気を感じ、それが電気を発見したということになっている。
【事実】
少なくともこの凧あげの実験をフランクリンが申し出たことは事実とされている。ただし実際に実験が行われたかどうかは確かではない。ソースによっては行われていないとするものもある。さらに確かなのはこの実験が稲妻とは全く関係がないとういことである。もし嵐の中で凧揚げをしようとし、そして稲妻に打たれるとなると、その人間は完全に破壊される可能性が高い。実際は近隣にいるだけで、毛髪がなくなるという被害を受けるであろう。
同じ実験を無謀にも真似て証言した人々がいるにもかかわらず、この凧揚げの話はいまだに広く人々に受け入れられている。現実のフランクリンの実験は、「凧を雲間にあげて空気中に電荷が含まれることを証明するためにイオンを集める」というものであった。このフランクリンの発見によって後に雷が電気と関係していると推論されたのである。
彼のあげたカイトそのものが、直接雷に打たれたとする話はかなりドラマチックで大げさで、かなり長い間教科書に載っていた。そのことが何世代もの子供たちに、雷に打たれることは無害でエキサイティングなことであるという誤解を招かせる手助けとなっている。
ニュートンのリンゴと同じように、20世紀以前に生まれた偉大な人々は、子供のような実験をするシンプルな人間であったと反映する内容である。
最後の二つは、いかにもアメリカにおける歴史といった感はありますが、一般に伝わりやすいエピソードや、世間に望まれている歴史というものが垣間見えて興味深いですね。
世間受けしそうな伝説を作り上げて、それをしつこく繰り返して伝え続ければ、それも逸話として2050年ごろには教科書に載っているかもしれません。
きっと今【事実】とされていることも、時代が変われば【出回った歴史】として修正されていくのでしょう。
The 5 Most Ridiculous Lies You Were Taught In History Class | Cracked.comより