【社長の仕事術】部下育成、勉強法など有名経営者が成功の秘訣を伝授
社長の仕事術
2010年 2月 18日
なぜホンダは「嵐の予兆」を感じることができたか
http://president.jp.reuters.com/article/2010/02/18/A9DE8E98-163B-11DF-B70E-40E13E99CD51.phpなぜ当たり前のことしか浮かばないか!【1.景気羅針盤】
プレジデント 2009年7.13号
クルマの販売は好調でしたが、建機メーカーなどにOEM供給する汎用エンジンの売れ行きが鈍っていました。建築工事に異変が起きていたのです。
面澤淳市=構成 芳地博之=撮影
キーワード: サブプライム ホンダ 製造 流通・販売 なぜ当たり前のことしか浮かばないか!
売れているのにクルマをつくらなかった
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本田技研工業前代表取締役 福井威夫●1944年、東京都生まれ。麻布高校卒業。69年、早稲田大学理工学部応用化学科卒業後、ホンダ入社。87年、ホンダ・レーシング社長。98年、本田技術研究所社長。2003~09年、本田技研工業株式会社社長。
正直にいうと、2008年秋からの環境の激変は予想を超えていました。しかし前年に米国でサブプライム問題が持ち上がったころから、「何かありそうだ」という予兆は感じていました。
08年は自動車産業最悪の年だった。ホンダも無傷ではいられなかったが、迅速な経営判断によって国内大手3社では唯一、黒字確保に成功。背後には福井氏ならではの状況の“読み”があった。
当時、米国市場ではクルマの販売は好調でしたが、建機メーカーなどにOEM供給する汎用エンジンの売れ行きが鈍っていました。建築工事に異変が起きていたのです。夏になると、自動車販売も変調をきたすようになりました。
といっても、カリフォルニアがダメでも中西部や東部は好調、という具合に州ごとに状況が異なるため「確実に不況が来る」とは断言できませんでした。実は11月中旬になっても、米国の販売現場は「シビックが足りない」と本社をせっついていたくらいです。
しかし私は、以上さまざまなデータから変調の兆しを感じていたので、08年4月に新しい3カ年計画を立てる際は、行動要件として「柔軟に」「機敏に」という言葉を差し挟みました。今後、世界経済はどう動くかわからないが、何があっても柔軟かつ機敏に対応しようというシグナルです。そうした下地があったうえで、(リーマン・ショック直後の)9月下旬に緊急タスクフォースを立ち上げ、不況対策に当たらせたのです。
事態は深刻だった。赤字転落を避けるため、福井氏はF1からの撤退や設備投資の凍結をいち早く決断。その一方、ハイブリッド車の新型インサイトを09年2月に発売し攻勢に出た。そして6月末の社長交代を発表する。
09年3月期の業績が厳しいものになるのはわかっていたので、それに対する手立てを08年のうちに講じました。そのうえで新しい人(伊東孝紳次期社長)にバトンタッチすることを決めたのです。
「なぜ、この時期に社長を辞めるのですか」ときかれることがあります。会社を立て直すのがあなたの役目じゃないかというのです。しかし私の考えは違います。
経済危機といっても1~2年という短期の問題です。これを乗り越えてホンダはなんとしても成長を続けていきたい。伊東をトップとする新しい執行部は、この厳しい時期を乗り切ることでチームワークを固めるでしょう。堅固なチームワークは2~3年後に経済が上向いたときの爆発力につながります。
私が陣頭指揮をとり続けても危機突破はできるでしょうが、その後の成長を考えると若いメンバーに託したほうがいいのは明らかです。だから、あえてこの時期に社長交代に踏み切ったのです。
少し話を戻しましょう。不況突入が明らかになってから機敏な対処を行えたのは、湾岸戦争直後の不況を経験していたからです。クルマの販売額が落ちて工場の稼働率が下がると、自動車会社はどういう厳しい環境におかれるのか。このことを私は肌で感じています。だから、投資には慎重になっていたのです。
クルマがどんどん売れるのに生産が間に合わない。そんな場合でも、ホンダは思い切って設備投資することを控えてきました。むしろ少しずつ投資をします。そのために機会損失、いわゆる「儲けそこない」はあるかもしれませんが、反対に需要が急減して逆回転を始めたらこんなに怖いことはないのです。
もちろんホンダは同じような危機を過去何度も経験しています。「小さく産んで大きく育てろ」という言葉が社内に残っているくらいですから、ホンダの人間はみんな持っている感覚だと思います。
工場設備や人件費といった固定費負担がたいへん大きいのは自動車会社の宿命です。稼働率が落ちれば利益率は極端に下がります。生産能力が大きいほどマイナスの影響も甚大です。
一時期「400万台クラブ」という言い方が自動車業界では流行りましたが、いま苦しんでいるのはまさに年間生産量400万台以上の会社であり、利益を出しているのは比較的小ぶりな会社です。とくに経済が厳しいときは、図体が大きくないほうがいいのです。
ただ、景気は必ず回復します。いまの見通しでは、09年半ばに底を打ち、後半からは少し上向きになると期待しています。しかし、それとは別に、自動車産業をめぐる環境ががらりと変わるという見通しを私は持っています。
赤字覚悟のプリウス利益確保のインサイト
ホンダは新型インサイトを09年2月に発売し、お陰さまで4月の車種別販売量ではハイブリッド車として初の首位となりました。世界的に環境意識が高まっているところへ経済危機が直撃し、低価格の低燃費車ということで支持を受けたのだと思います。
このクルマの開発は3年前にスタートしました。その時点で私が抱いていたのは次のような将来像です。
原油をはじめ鉄などの原材料価格は上昇基調にある。それはBRICs諸国のほか発展途上国が経済的に豊かになり、一般大衆が経済力をつけて先進国レベルに近い消費を始めるからだ。つまり地球規模で原材料の需給が逼迫するだろう。
すると、地球環境問題を重視するだけではなく、新しい時代においては「燃費」が決定的に重要な意味を持つ。だから専用車体を持ったハイブリッド車を開発すべきである――こう考えたのです。
純粋に燃費や環境性能という面で考えれば燃料電池車が理想でしょう。しかしわれわれは、実用に耐える燃料電池の開発がそう簡単にはいかないことを承知しています。バッテリー駆動の電気自動車も普及するまでには時間がかかります。
だから、ハイブリッド車のラインアップをある程度揃えなくてはならないだろうという認識を、私たちは3、4年前の段階で持っていたのです。
新型インサイトは、性能やデザインのほか200万円を切る低価格に人気が集まっています。なぜこの価格を実現できたのかを最後にお話ししましょう。
新型インサイトの開発で徹底したのは、実走燃費でライバル車にひけをとらないことと、ガソリン車との価格差を20万円までに抑えること。これが必須の条件でした。そのうえで、ホンダらしい走りを実現すること、スタイリングがいいことを求めたのです。
トヨタのプリウスが、赤字を覚悟で値下げで対抗しても、インサイトのほうがまだ十数万円安い。プリウスに十数万円分の付加価値があるのかどうかはお客様に判断してもらえばいい。インサイトは、あの価格で当然利益を出しています。
もちろん、それを形にしたのは開発チームによる懸命な努力です。しかし企画段階で明確な方針を示していなければ、どんなクルマができていたでしょうか。手前みそになるので、これ以上語るつもりはありませんけれども(笑)。
※すべて雑誌掲載当時
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