2009年12月13日日曜日

【WHO基準日本で認めず】軽度脳損傷、自賠責請求棄却

【軽度脳損傷】遅すぎるWHO基準で初調査、国内で確認 2009年12月13日日曜日
事件・事故・裁判

ニッポン密着:軽度脳損傷 自賠責請求、認められず 働き盛り、人生暗転

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091213ddm041040074000c.html

 装具で固定した右足をひきずりながら歩く。東京都世田谷区の商店街。左前方に街灯がある。そのまま左肩が激しくぶつかりよろめいた。「よくあることですから」。近くに住む五十嵐克典さん(38)はつえで体を立て直すと、再び歩き始めた。軽度外傷性脳損傷(MTBI)による高次脳機能障害の影響で、左目で空間の一部を認識できないのだ。【宍戸護】

 人生は交通事故で一変した。03年10月の夕、埼玉県岩槻市(現さいたま市)の東北自動車道。乗用車で渋滞の最後尾にいたところ、ワゴン車に追突された。5台の玉突き事故。ワゴン車に乗用車のトランクを押しつぶされた。

 五十嵐さんは、意識がもうろうとし、右半身に違和感を覚えた。自ら運転して帰宅すると、母嘉津子さん(67)から「右肩が下がり、右足を引きずっている」と言われた。近くの病院で「頸部(けいぶ)損傷の疑い」と診断された。

 事故から10日を過ぎると、右半身のしびれはひいたが、右手人さし指が動かなくなった。数週間後、みそ汁やオムライスの味がしない。記憶力も落ち、取引先との打ち合わせを忘れた。「待ち合わせ場所に来ない」。商談はつぶれ、仕事への復帰は無理と悟った。

 世田谷で生まれ育ち、プロゴルファーを目指した。腰を痛めてあきらめたが、同期のプロゴルファー、横田真一さんのマネジメントを始めた。クラブメーカーなどと交渉しスポンサー契約をとり、キャディーも務めた。重さ約15キロのゴルフバッグをかつぎ、全国を転戦した。すべてがうまく回っていた。ツアー帰りの「あの日」までは。

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 湖南病院(茨城県下妻市)の石橋徹医師は、当時都内の国立病院勤務医。事故2週間後に五十嵐さんの診察を始めた。MRI(磁気共鳴画像化装置)などで検査したが、脳内出血などを疑わせる画像を確認できなかった。しかし、過去の臨床経験から「原因は脳にある」と推測。世界の学術論文を読むと、米政府が96年に支援法、世界保健機関(WHO)は04年にMTBIの基準をまとめ、欧州の神経学会でもガイドラインを整えていた。

 五十嵐さんは、事故直後の意識変容などWHOの診断基準にある二つの要件を満たしていた。専門医に診断を依頼した結果、左目の空間無視症状▽嗅覚(きゅうかく)喪失、味覚消失、嚥下(えんげ)障害▽高次脳機能障害(知的機能低下、記憶・注意・遂行機能障害)▽排尿1日20回、切迫性尿失禁--などの症状が分かった。

 石橋医師はMTBIと診断を確定。これを受けて五十嵐さんは自賠責保険を請求したが、認められなかった。労災基準に準じた「脳が損傷した兆候を示すMRIなどの画像所見が必要」との自賠責基準を満たせなかったからだ。

 こうした現状から、被害者の多くは、事故の加害者側に損害賠償を求めるしか手段がない。五十嵐さんもワゴン車の運転手らを提訴したが、被告側は「頭部に異常を示す画像所見はなく、高次脳機能障害と身体的障害は事故とは関係ない」と反論しているという。画像所見がなくても、高次脳機能障害を認めた判例(最高裁07年12月)もあるが、多くは敗訴している。

 石橋医師は「MTBIは高次脳機能障害や身体的障害を合併する重い疾患。国内に潜在患者が多数いるのは間違いない。治療や予防、患者救済に取り組む時期が来ている」と指摘した。

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 2歳の一人息子の写真が何枚も飾ってある五十嵐さんの自宅居間には、ウルトラマンやアンパンマンの人形が並ぶ。話し合って別居している妻子が月1~2回訪ねてくるのが楽しみだ。「子供が僕のすべて。首から下がいつ動かなくなるか、毎日恐怖を感じている」

 事故後、身体障害者2級になった。月約1万5000円の障害者手当と同居する母親の月11万円の年金が頼りだ。
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毎日新聞 2009年12月13日 東京朝刊